22.11.1 アーティザンインタビュー~讃岐うどん職人 山下義高さん編その1

―お店を始めるまでのいきさつから教えてください

お店をオープンしたのは2009年です。それまで10年ほど修業していましたが、最初に入った時は自分でうどん屋をする気はありませんでした。子供の頃から「うどん」は身近な存在ではあったけれど夢は別にありました。東京に出てミュージシャンを目指していた時期もあり、その後も音楽事務所で働いたりしていました。3兄弟の末っ子で兄とは10歳以上離れていることもあり、琴平町で高齢になった両親がしていた旅館を手伝うために帰ってきたのが始まりでした。昼はうどん屋、夜は旅館の掛け持ち状態でした。

―自分のお店を持とうと思ったのはいつ頃ですか?

アルバイトをし始めて4年ほどたってからです。旅館を続ける、兄の会社を手伝うなどいろいろな選択肢の中で自分が一番やれる・やりたいのは「うどん」だと考えたからです。そこから、少しずつ準備を始めていきました。

―そうして誕生した「純手打うどん よしや」ですが、純手打のお店は現在少なくなってしまっていますよね?

うどん職人のカッコいい作業を見られる店内にしたかったんです。機械を一切使わずに、手で練って、足で踏んで、こねて伸ばして、包丁で切る。昔ながらのこの製法で作っているお店は香川でもう数軒しかありません。でも昔の人は当たり前にやっていたことで、自分にとってもおいしいうどんはこれが当たり前。この作り方だからできることがあると思います。手練り・手切りした麺は、ねじれたり、縮れたり、1本1本が個性豊かになり、それが集まって「よしやのうどん」になります。シンプルなおいしさを「舌と歯とのど」で感じて欲しいんです。

―出汁のおいしさも「うどん」に欠かせないと思いますが、こだわりは?

琴平で育った僕がよく行っていた大好きなうどん屋「宮武うどん」さんのオマージュです。そこのダシを自分なりに模倣し、そこから十数年かけて試行錯誤を繰り返し、今に至ります。香川県の文化をベースに、イリコ・削り節・昆布など良質なものを使い、讃岐うどんっぽい醤油で仕上げます。判断基準は常においしいかどうかです。

―具材もお店ならではですね?

僕が残したいものをできるだけ詰め込んでいます。色々とアレンジしているメニューは讃岐うどんを「昔の枠」に収めておきたくないからです。可能性は無限にあると思います。お客さんの笑顔の先に自分の作ったうどんがあったらうれしいから日々進歩も必要です。

―お店を初めて14年。変わったこと変わらないことは何ですか?

メニューは大きく変わりました。最初はシンプルなメニュー3種類しかなかったんです。2005~2006年頃にスタッフが大きく入れ替わったタイミングでメニューも変えることにしました。お客様の様子など日々見ながら柔軟に変化していくことは必要だと思っています。変えていないのは純手打ちであることです。軸足はどっしりと動かさず、その範囲内では自由に素早く身動きが取れるようにしている感じです。